はやし裕二 朝倉市長候補 出陣式
平成30年4月8日、朝倉市長選挙が告示されました。
福岡県議会議員として活躍されて来られた、林裕二氏が立候補されました。
出陣式でのご挨拶になります。
※お詫び 冒頭の日付の4/2は4/8の間違いです。失礼いたしました。
平成30年3月30日、午後八木山バイパス四車線化へ向かって国土交通省が検討を始めました
【八木山バイパス四車線化へ国土交通省が動き始めました】
平成30年3月30日、午後八木山バイパス四車線化へ向かって国土交通省が検討を始めました。
四車線化実現に向け、具体的、現実的、方針へ舵を取り早期の実現を目指します。
朝の福岡空港で、現在の気持ちをお話しさせていただきます。
※一部訂正をさせていただきます。
動画内コメント
所管→所感
1月19日→2月19日
になります。失礼いたしました。
2018年3月30日の午後、正式に八木山バイパスの4車線化検討に対する具体的な指針が発表
【八木山バイパス4車線化】
本日2018年3月30日の午後、正式に八木山バイパスの4車線化検討に対する具体的な指針が発表となります。
平成28年12月20日の「八木山バイパス4車線化議員連盟」の発足より、着実な一歩を得ることが出来ました。今後は以上の調査結果に基づき早期の着工の実現に向け更なる努力を重ねて参ります。
(記事写真は西日本新聞 平成30年3月30日朝刊より)
故 吉原 太郎 福岡県議会議員への追悼
故 吉原 太郎 福岡県議会議員への追悼
平成三十年二月定例会
登壇 追悼の言葉
ただいま発言のお許しをいただきましたので、去る一月二十日、忽然としてご御逝去されました吉原太郎先生の御遺徳をしのび、議員一同を代表いたしまして、ここに謹んで哀悼の言葉を申し述べさせていただきます。
昨年の十二月定例会のタイ議連の役員会では、いつものようにせいろ蒸しを完食される先輩の元気なお姿を拝見し、親しくお言葉を交わしておりましたので、このたびの突然の訃報に接し、ただただ呆然とするばかりでありました。本日ここに立ち、先輩のお姿のない議席を見ても、あの人懐っこい笑顔と豪快な笑い声で、おい、元気かと、また私たちの前にあらわれてくださるのではないかと、まだ信じられない思いでいっぱいです。
先輩は、地元の嘉穂高校から久留米大学医学部に進み医師となられ、地域で暮らしたいお年寄りとそのご家族のためにをモットーに、地元住民の皆様が安心して診療が受けられるよう、外来、入院、在宅医療等を提供する吉原外科医院を開設されました。また、昭和五十三年八月には、社会福祉法人ひまわり会を設立され、特別養護老人ホームや介護老人保健施設などを開設されました。地域に愛され、地域に開かれ、信頼される施設を目指し、地域の高齢者福祉の拠点施設として快適で安心して利用できる施設を提供したいとの思いから、施設を運営されるだけではなく、みずからもケアマネージャーとして高齢者の生活支援に積極的に携わられ、地域の介護体制の充実に力を注がれました。
そして、昭和六十二年四月、地域住民の衆望を担い福岡県議会議員に当選され、今は亡き三木清先生を政治の師として、以来八期三十年余の長きにわたり地方自治に対する豊富な知識と高邁な政治信念を持って県勢の発展と県民福祉の向上に尽力されました。この間、産炭地振興対策調査特別委員会委員長、予算特別委員会委員長、決算特別委員会委員長などの要職を歴任、平成十一年五月には第五十二代福岡県議会議長に就任され、すぐれた識見と卓越した指導力で議会運営を円滑かつ効率的に進め、県政の重要課題の解決に当たられました。また、県議会議員就任以来、一貫して厚生の委員会に所属され、医師としての経験とその高度で専門的な知識を存分に生かし、県民の医療や福祉の向上に多大な貢献をされました。
さらに、地域の発展を何より大切に思われていた先輩は、十六年にわたり産炭地域振興対策調査特別委員会に所属され、鉱害問題や失業者対策など炭鉱閉山後の産炭地域が抱えるさまざまな課題に対し、鉱害復旧の促進、産炭地域の産業基盤、生活基盤の整備促進、地域産業の振興、雇用の拡大など、産炭地域の振興に多大な貢献をされるとともに、筑豊地域の発展にはJR篠栗線と筑豊本線の電化事業の実現が必要不可欠であると強く主張され、所属されたJR九州篠栗線、筑豊本線の電化の実現に力を尽くされました。
特別委員会や議会運営委員会など、先輩の御活躍は多方面にわたり、その功績は枚挙のいとまがありません。
今、こうして私が議員を代表して先輩にお別れのの言葉を申し上げなければならないことは、本当につらく悲しいことであり、まことに残念でなりません。
私は、先輩とは所属会派を異にしていましたが、同じ旧筑穂町出身で高校の先輩後輩の間柄であったことから、本当にかわいがっていただきました。豪放磊落、シャイで優しくて、頼られたら嫌と言えない性格で、飛び込んでくる人は誰でも受け入れる懐の深さをお持ちでした。その中で、私が最も学ばせていただいたことは、人間関係の大切さです。先輩は、盟友である藏内会長を、自民党は言うに及ばず、県議会や県政界のトップリーダーにするべく黒子に徹し、その実現に全力を注がれるさまは、政治家のありようとして私の脳裏に深く刻まれています。理論家で戦略抜群の藏内会長と、県議会の御意見番で人情派の吉原先輩。本当にうらやましい関係でした。
先輩の歯にきぬ着せぬ発言や指摘は時として執行部や周囲を走らせ、本当に威力抜群でしたが、それも今となっては懐かしい思い出です。ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン、ラグビーをこよなく愛した先輩の口癖でした。スポーツ万能で、特に先輩のロングパットは秀逸でした。それに、にぎやかなことが大好きで、お酒は全く飲まないけど、ジャズが好き、私と何度かカラオケで「矢切の渡し」を歌ったことがありました。先輩の人柄には常々深い敬意と親愛の念を抱いていましたが。まだまだ先輩に教えを請いたいことがたくさんありながら、もう先輩のお姿を見ることも聞くこともできないと思うと、万感胸に迫るものがあります。
御家族の皆様の深いお悲しみは申すまでもなく、よき理解者であり、指導者を失った地元の方々の落胆もまことに大きいものがあろうかと御推察いたします。特に、奥様に対しては人一倍優しくて、いつも頼り切っていて、うらやましいほどのおしどりぶりでした。でも先輩、少し寂しいでしょうが、そちらのほうで気長に待っていてください。先輩、私の話をこの議場のどこかで聞いていますか、見ていますか。これからも、藏内会長や自民党県議団、県議会や私たちを見守ってください。
生涯現役で、ただひたすら県勢の発展と県民福祉の向上に尽くしてこられた先輩の御遺徳、また幾多の御功績は、私を初め福岡県政に携わる者並びに先輩を尊敬してやまない多くの人々に語り継がれ、必ずや力強く受け継がれていくと確信しています。
吉原太郎先生、お疲れさまでございました。どうぞ安らかにお眠りください。
ここに、御遺族の皆様に心から哀悼の意を表しますとともに、ありし日の吉原太郎先輩の面影をしのびながら、その偉大な御功績をたたえ、心からの御冥福をお祈りいたしまして、追悼の言葉とさせていただきます。
平成三十年二月二十六日
福岡県議会議員 吉村 敏男
合掌
平成30年3月12日 福岡県議会定例会 一般質問について全文掲載
平成30年3月12日 福岡県議会定例会 一般質問について全文掲載させていただきます。
一、タイ国総領事館の福岡開設について
一、八木山バイパスの四車線化について
民進党・県政県議団 吉村 敏男
本日は一般質問の最終日、最後の登壇となりましたが、もうしばらくお付き合いいただきたいと思います。
まず、最初に、今回のタイ国総領事館の福岡設置決定について知事の所見をお伺いします。今年1月16日午後6時頃私の電話に、当日、タイ国政府が福岡に総領事館の設置を閣議決定したことの一報が入りました。
それは、まさにちょうど2年前、私が会長を務めさせていただいています福岡県タイ友好議員連盟を中核としてこの間の井上議長、中尾議長、現樋口議長を先頭に各会派の会長も含め県議会が全力で取り組んだ地方議員外交が結実した瞬間でした。 これは、わが国における外国公館の開設が実に6年ぶりであることと、いち地方議会の議員外交によって実現したことの2点において画期的です。以下、少し詳しくなりますが、この間の取り組みを申し上げ、その後質問させていただきます。
この問題は、2015年(平成27年)12月に、1990年代初めに、本県に相次いで設置されたタイ国政府観光庁福岡事務所が翌年の平成28年1月、同じくタイ国政府商務省貿易センター福岡事務所が3月に突然閉鎖されたことに端を発しています。
こうしたタイ側の動きを受け、タイ議連の藏内顧問の適切なアドバイスをいただきながら、平成28年1月16日に開催した毎年恒例の両事務所とタイ航空、私たちタイ議連の意見交換会の席上で、「今後はタイ議連として両事務所の再設置ではなく、タイ国総領事館の設置を目指す」と宣言したことが始まりです。その直後の2月18日の議連のバンコク都訪問で、私からバンコク都議会のロハチャラ議長を初め同席したバンコク都議会議員に対し、タイ国の福岡総領事館設置実現に向けた協力要請を行いロハチャラ議長から「タイ国外務省と話し合い。協力したい」旨発言があり、平成28年2月29日の2月県議会におけるわが会派の代表質問で、この問題について質しました。
その質問で明らかになったことは、本県は平成27年の夏の段階で両事務所の閉鎖を知っておきながら、議会やタイ議連には知らせていなかったこと、そして平成27年10月20日にタイのシーキウ市で福岡方式の廃棄物処理場の竣工式が行われた際、当時の山崎副知事がタイ外務省を訪問し、総領事館設置の要請を行うとともに、駐タイ日本大使館と駐日タイ大使館に対して、同様の要請を行なった、と云うものでした。
その後、5月10日の二年に一度のバンコク都公式公訪で、私たちが福岡へのタイ総領事館設置を要望するためタイ外務省を訪問した時(この時ドーン外相はアウン・サン・スーチンさんとの会談の為ミャンマーに行って不在でしたが)当時の東アジア局長に対応していただき、「タイ外務省としては2年前に九州地区における領事館設置の必要性について調査し、九州地区におけるタイの領事館設置は必要との認識は持っているが、今すぐどうこうするものではなく、実際の設置には予算も含めた更なる検討が必要であり、時間もかかる」との話でした。
しかし、メドはともかくタイ外務省と私たちの目指す方向が一致していることがわかり、まずは一歩前進とその時の参加者一同は大きな手応えを感じました。その後、その訪問で福岡空港に帰着した時、私たちの目的と意気込みを知っていたタイ航空の福岡空港支配人から、偶然私たちと同じ便に乗り合わせていた、ドーン外相の奥様を紹介され、翌日に席を設けて当時の井上議長と外相に面談できるよう頼んだり、同年9月にバンコク任命都議会が来福した折や、又10月にプミポン国王が御逝去され弔問のためバンコク都を訪れた際に、タイ国政府首相府の主席秘書官に対し、総領事館の設置要望を行ないました。
しかし、やはり、この時点では、国対国の協議事項である外国公館の設置について、いち地方議会が全力で働きかけても相当高い壁のようなものがあり、真剣に相手にされていないのではとの思いもありました。しかし、私たちタイ議連は、バンコク都議会との友好親善協定を締結した、この11年間の間に、相互訪問や九州自立を考える会と連携して、10台の消防自動車を贈呈するなど着実に交流の実績を積み重ね、信頼関係を築いておりこの困難な状況を打開するため力を貸し汗をかいてくれたのが4年前のクーデターによる軍政発足後、公選による都議会が停止されたため、今は議員ではないものの、年1回は必ず福岡に来て、私たちタイ議連と交流していたバンコク都議会の元議長の皆さんでした。
まず、昨年2月に本県とバンコク都との友好交流10周年の調印式に臨んだ際に、元議長の個人的なアポで福岡県議会としてようやくドーン外相と会うことが決まり、小川知事にも日程を1日延期していただき、一緒に福岡への総領事館設置を要望したところドーン外相は「自分としては福岡への総領事館設置の必要性については理解しているが、予算のこともあり、外務省だけで決められる問題ではない、もう少し時間がかかる」とのことでした。
また、「総領事館設置をやるなら意思決定が早い、軍政の時のほうがいい」と私たちにアドバイスしてくれたのは昨年3月に来福したバンコク任命都議会のニラン副議長です。その後もありとあらゆる機会をとらえてタイ国政府の要人との面談を求めていたところ、やはり、バンコク都議会の元議長の人脈により、タイ国政府の一番の実力者であるソムキット副首相と会うことが出来るようになり、昨年5月末に急遽バンコクを訪問し、その際、ソムキット副首相から本県への総領事館設置について「私も賛成、外務省と話をして、可能性をもっと検討するよう伝える、設置に向けて力になる」と述べ、前向きに検討する考えを明らかにしていただきました。
また、この時、現在のバンコク任命都議会の尽力により、タイ軍政の中でプラユット首相に次ぐ序列2位の軍出身タナサック副首相にも面談し、ソムキット副首相と同様に極めて前向きの言葉をいただきました。そして続く9月12日、全国最多の県内企業39社(全国で約500社)が参加したタイ東部経済回廊(EEC)経済ミッションに樋口議長、大曲副知事と参加した時、私たちにだけ特別にソムキット副首相との面談の場が設けられ、同副首相からは「福岡での総領事館設置をなるべく早く実現させたい、今朝、外務副大臣に、手続きを早く進めてくれと伝えた」と話があり、その後面談したドーン外相からも「福岡に総領事館を作ることを進めて行きたい」との話があり、今、考えると、あの時点で福岡県へのタイ国総領事館設置の大きな流れが出来ていたと確信できます。
そして、今年2月8日から来福したソムキット副首相からは、今年10月頃をめどとする総領事館開設が正式に表明され、その折、2年前に撤退した貿易センター福岡事務所の再開と、また、急遽ソムキット副首相に合流したタイ国政府観光庁のユタサック総裁からは福岡事務所の8月再開が発表され、県議会やタイ議連として、これまでの努力が実を結び、大きな大きな成果を得ることができました。外国公館の設置は、国対国の協議事項ですが、タイ国政府が福岡への総領事館設置の意向を日本外務省へ申し入れた時、地元出身の松山政司前外務副大臣の力添えがあって、この協議が大きく前進したことを、この際明らかにしておきたいと思います。
そこでまず、1点目に、今回のタイ国の総領事館設置決定は、タイ議連を中核として、この間の議長を先頭に県議会が一丸となってわずか2年の取り組みで実現しましたが、全国的に見ても、極めて異例とも云える今回の地方議会の議員外交の成果を知事はどのように認識しているのかお伺いいたします。
2点目に、今回の福岡県への総領事館設置決定は、ソムキット副首相の決断によるところが大きいと思います。一方でそれは、現在ソムキット副首相がタイ経済の更なる成長を目指して主導しているタイ東部経済回廊(EEC)の投資・開発計画への県内企業の参加への期待でもありますが、その期待に今後どのように応えていくのか知事の決意をお伺いします。
3点目に、2009年にベトナム総領事館が開設され、2016年までの8年間で、ベトナムからの入国者数9.23倍、在留者13.45倍、留学生54.61倍、貿易輸入額2.04倍、輸出額4倍など本県とベトナムの間で人・物の交流が拡大されて来ました。今般、タイ航空は毎日1往復の福岡・バンコク便の機体をA330からB777に変更し、10月からは、タイ人の利便性を優先するため、福岡夜発の便を週3便飛ばす計画を持っているようですが、タイ国総領事館の福岡設置によって、どのような相互交流拡大が期待されるのか知事の認識をお伺いします。
4点目に、タイ人に人気の高い北海道は、このようなタイ語による立派な冊子を作り、バンコクの旅行社やショッピングセンターなどに配布し、タイ人観光客の誘客に積極的に取り組んでいます。そこでせっかく総領事館が北海道や愛知でなく福岡県に開設される訳ですから九州観光推進機構も働きかけオール九州で負けないような観光冊子を作成し、九州の魅力をPRすべきと考えますが、知事のお考えをお聞きします。
5点目に、現在、本県の高校生とバンコク都の高校生の相互訪問による交流が国際交流センターによって2010年から実施されています。そこで、この事業の効果についてどのような認識をおもちなのか知事と教育長にお伺いします。また、昨年5月の福岡県議会とバンコク都議会の友好提携10周年調印式で、タイ政府の教育大臣と面談し、福岡への総領事館設置実現の協力を要請した際、逆に大臣から福岡とタイの高校の姉妹校実現の提案を受けましたが、この件について教育長の考えをお尋ねします。
6点目に、2009年のベトナム総領事館開設を機にして設置されたベトナム議連等の働きかけにより、現在県内の県立高校の5~6校がベトナムへの修学旅行を実施していますが、今回のタイ国総領事館の開設を機に県立高校のタイへの修学旅行も呼びかけてみてはどうかと考えますが、教育長の考えをお聞きします。
次に、八木山バイパスの4車線化について質問します。この問題は、今議会の自民党代表質問で、県議会八木山バイパス4車線化議員連盟のメンバーであります吉松源昭議員が質問していますが、私は議連会長という立場でありますので重複する所もあるかと思いますが、改めて知事にお聞きします。
一般国道201号は、福岡県を横断する為、別称を筑豊横断道路と呼ばれ、福岡都市圏と筑豊地域および周防灘臨海工業地帯を結ぶ動脈であり、筑豊地域をはじめ沿線地域の開発を先導する基幹道路の位置付にとどまらず、平成25年度には東九州自動車道に連結され、北部九州全体の経済発展の一翼を担う重要な道路です。その重要性もあって、この道路は田川バイパスや福岡東バイパスの4車線化に続き昭和60年2月には飯塚市から篠栗町間13.3kmが日本道路公団により有料道路として2車線で供用が開始されました。
しかし、平成26年10月1日の無料化以降、交通量が一日当り約2万6千台と無料化前の約2倍と大幅に増加し、交通事故も無料化後の1年間に64件が発生し、無料化前の約2倍と急増しています。また、車同士の衝突などによる死亡事故も、無料化後2年間で3件発生しています。この他、故障車による渋滞があり、年間で平均5日に1度の割合で、事故や故障による渋滞が発生し、九州内の片側1車線の道路では、事故や故障が原因によるNo.1の渋滞発生道路となっています。
このことから、国土交通省において、事故発生時の渋滞に対応した短期対策として、城戸IC、筑穂IC、九郎原トンネル終点側の3ヶ所に転回場の設置が計画され、平成29年4月1日から供用が開始されています。しかし、朝夕には交通混雑や速度低下が常態化し、大きな事故や積雪による車両の立往生が生じることで、3時間以上に及ぶ長時間の通行止めが頻発し、車による移動で最も重要な定時性が確保されていません。
こうした問題を解決するためには、八木山バイパスの早期の4車線化が必要との立場から、平成28年12月、関係する議員で構成する福岡県議会八木山バイパス4車線化議員連盟を結成し、この間、平成29年1月と7月に北九州国道事務所長を始め、国土交通省の事務次官や審議官、道路部長に対し、早期着工を働きかけてきました。さらに、議連活動を強化するため、昨年12月には、蔵内勇夫九州の自立を考える会会長に顧問に就任していただき、今年2月19日には九州地方整備局の増田局長に対し、陳情行動を行なうなど精力的な活動を行なってきました。
吉松議員への答弁により、知事は、「利用しやすい料金水準で、4車線化の費用を利用者に負担してもらうことは一定の理解が得られる。有料道路制度の活用も含めて国土交通省に対し働きかける」としており、この知事の積極的答弁は、心強い限りです。この方向性は地元の関係首長の間でも共通認識が定着しつつあるとの話もお聞きしているところであり、先に進めるための好機であると考えます。八木山バイパスは元々自動車専用道路として供用されたため、事故等の場合に逃げ場がないなどの弱点があり、これまでも4車線化に併せ、筑穂ICと穂波ICのフルインターチェンジ化を強く要望していますが、これが実現すれば、利用者の利便性の向上だけでなく飯塚地域での大きな懸案である国道201号と国道200号が交差する弁分交差点の混雑解消にも大きく寄与すると考えます。
有料道路制度の活用も含めた八木山バイパスの4車線化の検討にあたって、利用者の利便性の向上や地域の交通課題の解決の観点から、インターチェンジのフルインター化を検討すべきと考えますが、知事の所見をお尋ねします。