故 吉原 太郎 福岡県議会議員への追悼

故 吉原 太郎 福岡県議会議員への追悼

平成三十年二月定例会

登壇 追悼の言葉

 ただいま発言のお許しをいただきましたので、去る一月二十日、忽然としてご御逝去されました吉原太郎先生の御遺徳をしのび、議員一同を代表いたしまして、ここに謹んで哀悼の言葉を申し述べさせていただきます。

昨年の十二月定例会のタイ議連の役員会では、いつものようにせいろ蒸しを完食される先輩の元気なお姿を拝見し、親しくお言葉を交わしておりましたので、このたびの突然の訃報に接し、ただただ呆然とするばかりでありました。本日ここに立ち、先輩のお姿のない議席を見ても、あの人懐っこい笑顔と豪快な笑い声で、おい、元気かと、また私たちの前にあらわれてくださるのではないかと、まだ信じられない思いでいっぱいです。

先輩は、地元の嘉穂高校から久留米大学医学部に進み医師となられ、地域で暮らしたいお年寄りとそのご家族のためにをモットーに、地元住民の皆様が安心して診療が受けられるよう、外来、入院、在宅医療等を提供する吉原外科医院を開設されました。また、昭和五十三年八月には、社会福祉法人ひまわり会を設立され、特別養護老人ホームや介護老人保健施設などを開設されました。地域に愛され、地域に開かれ、信頼される施設を目指し、地域の高齢者福祉の拠点施設として快適で安心して利用できる施設を提供したいとの思いから、施設を運営されるだけではなく、みずからもケアマネージャーとして高齢者の生活支援に積極的に携わられ、地域の介護体制の充実に力を注がれました。

そして、昭和六十二年四月、地域住民の衆望を担い福岡県議会議員に当選され、今は亡き三木清先生を政治の師として、以来八期三十年余の長きにわたり地方自治に対する豊富な知識と高邁な政治信念を持って県勢の発展と県民福祉の向上に尽力されました。この間、産炭地振興対策調査特別委員会委員長、予算特別委員会委員長、決算特別委員会委員長などの要職を歴任、平成十一年五月には第五十二代福岡県議会議長に就任され、すぐれた識見と卓越した指導力で議会運営を円滑かつ効率的に進め、県政の重要課題の解決に当たられました。また、県議会議員就任以来、一貫して厚生の委員会に所属され、医師としての経験とその高度で専門的な知識を存分に生かし、県民の医療や福祉の向上に多大な貢献をされました。

さらに、地域の発展を何より大切に思われていた先輩は、十六年にわたり産炭地域振興対策調査特別委員会に所属され、鉱害問題や失業者対策など炭鉱閉山後の産炭地域が抱えるさまざまな課題に対し、鉱害復旧の促進、産炭地域の産業基盤、生活基盤の整備促進、地域産業の振興、雇用の拡大など、産炭地域の振興に多大な貢献をされるとともに、筑豊地域の発展にはJR篠栗線と筑豊本線の電化事業の実現が必要不可欠であると強く主張され、所属されたJR九州篠栗線、筑豊本線の電化の実現に力を尽くされました。

特別委員会や議会運営委員会など、先輩の御活躍は多方面にわたり、その功績は枚挙のいとまがありません。

今、こうして私が議員を代表して先輩にお別れのの言葉を申し上げなければならないことは、本当につらく悲しいことであり、まことに残念でなりません。

私は、先輩とは所属会派を異にしていましたが、同じ旧筑穂町出身で高校の先輩後輩の間柄であったことから、本当にかわいがっていただきました。豪放磊落、シャイで優しくて、頼られたら嫌と言えない性格で、飛び込んでくる人は誰でも受け入れる懐の深さをお持ちでした。その中で、私が最も学ばせていただいたことは、人間関係の大切さです。先輩は、盟友である藏内会長を、自民党は言うに及ばず、県議会や県政界のトップリーダーにするべく黒子に徹し、その実現に全力を注がれるさまは、政治家のありようとして私の脳裏に深く刻まれています。理論家で戦略抜群の藏内会長と、県議会の御意見番で人情派の吉原先輩。本当にうらやましい関係でした。

先輩の歯にきぬ着せぬ発言や指摘は時として執行部や周囲を走らせ、本当に威力抜群でしたが、それも今となっては懐かしい思い出です。ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン、ラグビーをこよなく愛した先輩の口癖でした。スポーツ万能で、特に先輩のロングパットは秀逸でした。それに、にぎやかなことが大好きで、お酒は全く飲まないけど、ジャズが好き、私と何度かカラオケで「矢切の渡し」を歌ったことがありました。先輩の人柄には常々深い敬意と親愛の念を抱いていましたが。まだまだ先輩に教えを請いたいことがたくさんありながら、もう先輩のお姿を見ることも聞くこともできないと思うと、万感胸に迫るものがあります。

御家族の皆様の深いお悲しみは申すまでもなく、よき理解者であり、指導者を失った地元の方々の落胆もまことに大きいものがあろうかと御推察いたします。特に、奥様に対しては人一倍優しくて、いつも頼り切っていて、うらやましいほどのおしどりぶりでした。でも先輩、少し寂しいでしょうが、そちらのほうで気長に待っていてください。先輩、私の話をこの議場のどこかで聞いていますか、見ていますか。これからも、藏内会長や自民党県議団、県議会や私たちを見守ってください。

生涯現役で、ただひたすら県勢の発展と県民福祉の向上に尽くしてこられた先輩の御遺徳、また幾多の御功績は、私を初め福岡県政に携わる者並びに先輩を尊敬してやまない多くの人々に語り継がれ、必ずや力強く受け継がれていくと確信しています。

吉原太郎先生、お疲れさまでございました。どうぞ安らかにお眠りください。

ここに、御遺族の皆様に心から哀悼の意を表しますとともに、ありし日の吉原太郎先輩の面影をしのびながら、その偉大な御功績をたたえ、心からの御冥福をお祈りいたしまして、追悼の言葉とさせていただきます。

平成三十年二月二十六日

福岡県議会議員 吉村 敏男

合掌


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